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みんなから好かれる必要はない

いい大人になったにもかかわらず、 いまだに「いい人になろう」と思って 苦労している人がいる。

 

しかも厄介なのは、この場合の 「いい人」が、「他人から見たいい人」 という意味だということ。

 

なにをするにしても「いまの言動は どう思われただろう」と気にし、 ひとりになると「どう思われただろう。 嫌われなかっただろうか」と不安に なるというのです。

 

もちろん、「いい人」だと思われれば 気持ちはいいものですし、嫌われる ことも少なくなりますから、他人と 衝突する機会も減るはず。

 

やみくもに「いい人」を演じた過去を 振り返ってみると、思い描いていた 「いい人」は、みんなを楽しませ、 喜ばせる人なのかと思っていました。

 

ところが、実際に周囲にいる「いい人」 は、人を喜ばせることよりも、 人の嫌がることをしないということに 重きを置いている人たちばかりです。

 

そんななか、冗談やユーモアを撒き 散らしているまでは、とてもいい人 にはなれない実感しました。

 

またそのころ、仏教が目指している のは「いい人」になることではなく、 いつでも、どんなことがあっても心が おだやかな人(仏)であることも 知りました。

 

そして「いい人」になろうとしていた のは、「嫌われたくない」という ネガティブな感情の裏返しだという ことに気づきました。

 

 

人から好かれるから「いい人」になろう としていたのではなく、嫌われたく ないという一心でした。

 

いわば、とことん他人任せの人間に なろうとしていたわけです。

 

人から好かれれば、心穏やかにいる ことができるでしょう。

 

逆に嫌われれば、おだやかでは いられないはずです。

 

しかし仏教は、「嫌われてもこころ おだやかでいる」ことを目指します。

 

でも、そんなことが可能なのでしょうか?

 

「こんな生活がしたい」と夢見るのも 大切ですが、もっと大切なのは 「どんな人になりたいか」。

 

みんなから好かれる人になれないのは 明らかなのですから、心おだやかな 人を目指してみるべきだということです。

 

それは、人の目を気にしなくていい 生き方です。

 

あいかわらず「いい人」になろうと している人は、自分がどれほど 他人の目を気にしているかに 気づいて、人生の軌道修正をしてみる といいかもしれません。

 

参考文献:『感性をみがく練習』       (名取芳彦著、幻冬舎

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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