愉快な人生を生きるために~知識を知恵に~

経営や仕事への取り組み・社会心理学・生活の智慧に関する考え方、思い、提言をお伝えします

ソーシャルでわかり合える余地を見出す

異なるルールや価値観を信奉しあう
個人と個人、グループとグループが
理解しあう―
―せめて相手の存在を許容しあう…。

ソーシャルメディアの利用、ツールを
通してのコミュニケーションのあり方
を考えたいと思います。

もちろん、ルールや価値観をシェア
する者同士は、自分(達)を肯定する
ために「いいね」の輪を広げあう。

だが所詮は「わかっている者同士の
「いいね」」であり、
「自分の似姿に対する「いいね」」で
あって、自分と違ったルールや価値観
に対する「いいね」ではなかったと
理解しています。

言葉を尽くせば尽くすほど反目が
広がり、お互いが嫌悪と失望を深め
合う、そんなディスコミュニケー
ションも、グループ内外に対する
政治的得点・ポジション争いの点数
稼ぎとしては有効なのかもしれない。

だが、それは他者とのコミュニケー
ションのための行為ではなく、他者を
踏み台や踏み絵として自分自身の利得
を獲得するための行為でしかない。

そういう内向きのコミュニケーション
・政治的得点やポジション争いのため
のコミュニケーションツールとして、
インターネットは、役に立っていたと
思います。

しかし、良くも悪くもそれだけである。

 

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違和を含んだ他者への接近の手段と
してインターネットを使う人は稀
だったように思えます。

そもそも、そんな事をインターネット
上で試みようと発想すること自体、
もはや稀です。

「コミュニケーションで大切なのは、
わかり合うことではなく、得点を
稼いでポジションを確立することで
ある」。

そして異なるルールや価値観が
ぶつかり合った結果、摩擦熱が
じりじりとネットに籠もっていく。

そのことに疑問を感じる人もあまり
いない。
 
今更だが、インターネットがこんなに
わかり合えないということに、諦念
以上の何かを感じでした。

そして、そのような状況に無意識に
適応している自分自身にも…。

人間とは、共鳴はできても、わかり
合えないものなのかもしれない。

コミュニケーションとは、政治でしか
ないのかもしれない。

インターネットによって、私達の本性
がいよいよ露わになっただけなのかも
しれない。

スルーするスキル、情報の選択眼、
自分自身のソーシャル・メディアの
利用目的を新たに見直すことを含めて、
楽しく・有意義な限られた時間の
使い方、生活の仕方を考えたいものです。

 

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