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“関係性おばけ”や“オンリーワンおばけ”の妄想・暴走

どこにでもいる、ちっともキャラが 濃くない同期のメンバーをあたかも 特別な存在のように紹介する ツイート。

それに対して、 「いっこもキャラ濃くないわ。 普通じゃボケ」と腐した内容。

はたから見るとまったくキャラが濃い ように思えないし、せいぜい、宴会で ちょっとしたコスプレをしている 程度の感じ。

それはキャラが濃いのではなく、 ただのお調子者のように 思えます。

それこそ、そのへんにごまんと いるのではないかと…。

この「キャラ濃い問題」は、TBSラジオ 「東京ポッド許可局」で指摘されている 「オンリーワン問題」と通じる ところがあります。

同番組では自分の存在をことさら特別視 する考え方を「オンリーワン思想」 と呼んでおり、 「オンリーワンであることは当たり前 であり、それをわざわざ発信する 表現姿勢」について、 「ワンオブゼムの謙虚さを持つべきだ」 と指摘しています。

こうした「主人公感の押し付け」に 対して、「自意識肥大を感じる」 と意見もあります。

 

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SNSが普及した現在は、自意識と 承認欲求による「オンリーワン思想」 が蔓延しています。

大いなる“儀礼的無関心”を発動して スルーしようとしても、どうしても 目に入ってきてしまうから厄介だと 感じます。

文脈と関係性の押し付けが主人公感を 増長させる。

誰もが特定の文脈や関係性のなかで 生きています。

そのなかでこそ、お互いのキャラは 「意味」を持ちます。

人は特定の文脈や関係性のなかでは、 「意味」ある存在として 君臨する。

しかし、あくまでそれは「意味」 でしかない。

パブリックに通用する「価値」では ない。

無関係な人にとっては、どうでも いいことです。

しかし、考えてもみてほしい。

そのオンリーワンは、本当にオンリー ワンなのだろうか。

関係性や文脈に依存して自分や他人に 「意味」を持たせたとしても、 まったくオンリーワンだとは 言えません。

そこでしか「意味」を持たない オンリーワンは、関係ない人に とってはワンオブゼムです。

そしてそのオンリーワンに、部外者は 興味がない。

“関係性おばけ”や“オンリーワン おばけ”が成仏できずに さまよう現代の日本社会。

その呪縛から解き放たれたほうが、 オンリーワンに近づけると 思いますが、どう考え、 思われますか。