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障害者の「害」の字を変えてもなにも変わらない

最近は「障害者」の「害」の字を 「碍」「がい」と表記することが多く なってきました。

「害」という字から連想する イメージが悪い、という理由は わかりますが、当事者からすれば どちらでも構わないそうです。

その理由は、2つあります。

まず1つは、「害」という字を変えた ところで、世の中の障害者に対する 意識はほとんど変わりません。

そしてもうひとつは、「害」という 一部分を変えることで余計に スポットを当ててしまい、マイナス イメージを持っていることを露呈 していることになるからです。

「障害者」の「害」の字を変えるので あれば、「ハゲ」「デブ」「ブス」「チビ」と いった身体的欠点を嘲笑する言葉 だって変えなければいけないのでは ないか?と思います。

加えて、健常者が「障害がある人たち のために力になりたい」 「対等につきあっていきたい」と思う 最大の動機となるものは、次の3点に なります。

1. 障害があるのだからやってくれて  当たり前、気を使ってくれて  当たり前、特別な対応をしてくれて  当たり前と思っていない。  素直に感謝の気持ちを表現できる  障害者と出会った場合

  1. 障害がある人と知りあったことで  生きかたが変わった、障害がある人  から大事なものを与えられたという  経験ができた場合

  2. 決して健常者になろうとせず、  障害を隠れ蓑にせず、卑屈さや  同情心を煽って健常者をコントロール  しようとしない健常者と出会った場合

よくいわれる「がんばっている」「感動を 与えてくれる」というようなことでは なく、はっきり言ってしまえば、 「自分たちは障害者だ! 私たちにも 健常者と同じ権利がある!」と “叫ばない人”たちに対して健常者は 心を開き、本気で協力したいと思うもの です。

いくら呼び方を変えても、法律で縛った としても、人の理解には至らないもの。

それよりも、健常者が障害者に対して 過剰に気を使わず、もっと言いたい ことを言いあえるような雰囲気に 持っていくことが大事なのではないかと 思います。

参考文献:『こう考えれば、もう少しがんばれる』 (池谷直士著、実務教育出版)

最後までお読みいただきありがとうございました。