愉快な人生を生きるために~知識を知恵に~

経営や仕事への取り組み・社会心理学・生活の智慧に関する考え方、思い、提言をお伝えします

「生きているのも悪くないな」と思える人生

禅では「日日是好日(にちにちこれ こうにち)」と言います。

これは「好日」か「不好日」かには 「意味がない」と言っています。

ちなみにこの禅語の前には、 「十五日以前は、即(すなわ)ち 問わず。十五日以降は即ち如何 (いかん)」という言葉があります。

これは、「十五日以前のことは問わ ないが、十五日以降のことはどうだ?」 という意味です。

この「以前」と「以後」を人生の前半 と後半と解釈することもできるし、 「人間の人生には、価値のあるときと ない時があるか」と問うていると 捉えることもできます。

そして、この問いを発した老師は、 弟子の答えを待たず、自ら「日々是好日」 と答えたというのです。

仏教徒にとっては、前も後もない、 いいも悪いもない、ただ修行の日がある だけです。

いいかえれば、一生を振り返って 「いい人生」だったか「悪い人生」 だったかなどは関係ないわけです。

死に際して、「まあ、そこそこの人生 だったかな」「いいことも悪いことも あったが、とりあえず生きたな」と 思えれば十分だと考えられます。

そして、そんな死を迎えるために重要 なのは、「大切な自分」から降りて 他人に自分を“開く”ことです。

それは損得勘定から離れ、人の縁を 結んでいくことです。

大したことのない自分が、死ぬまで 生きていかなければならないのは億劫な ことです。

しかし生きているからには、その億劫な ことをやるしかありません。

そして、自分をなんとか使いこなして いくには、「これだ」と決めた道で、 手間と暇をかけるしかありません。

自分を決定づけるのは、他者とのかかわり しかありません。

「自分のため」ではなく、「人のため」と 考える。

なんでもいいなりになるということでは なく、他人と問題を共有して取り組むと いうことです。

それが、「やるべきこと」になるという 考え方です。

だからこそ、「やりたいこと」ではなく、 「やるべきこと」をするのが大切です。

大事なのは、「大切な自分」や「本当の 自分」、「夢を叶えて生きる」といった 妄想から降り、他者とのかかわりのなかで 成立している自分の存在を見極める。

そこを目指していけば、「生きているのも 悪くないな」「生きていてよかった」と 思える日々が重なっていくはずです。

仏教は、人生はつらく、苦しく、悲しい もの、せつないものだと断じています。

たとえそうでも、すべてを抱えて死ぬまで 生きる、その勇気こそが尊い

つまり仏教とは、生きるためのテクニック です。

だとすれば、仏教というツールの一端を 活用してみれば、生きることは少し楽に なるのかもしれません。

参考文献:禅僧が教える 心がラクになる生き方      南 直哉著、アスコム

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