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未来予想図?:主観的願望の存在

世の中には多くの未来予想があります が、大きく2つに分類できます。

一つは人口動態予想が代表で、過去の 死亡率や出生率から将来の人口動態を 予測するので、疫病や大きな気象変動 がなければ大きく外れない。

もう一つは、インターネットの動向 やロボット普及などの予想です。 これらは、過去の定量データから類推 するのではなく、その分野の専門家が 独自の仮説を立てて予測するものです。

そのため、仮説の前提として何を 変動要因として重視するかで予測の 方向性は大きく変わります。

とりわけ新しい技術がもたらす未来に 関しては、過去データがないことから、 予測は主観的にならざるを得ません。

かつて「パソコンを1人1台持つ時代が やってくる」と多くの人が信じました が、その時代は訪れることなく、 インターネット端末の主役は モバイル機器に移りつつあります。

このように技術がもたらす未来の予測 は大きく外れることがあります。

そして、主観的な予想は楽観論と 悲観論に分かれがちです。

「いまよりもさらに素晴らしい 世界になる」というタイプと、 「このままでは人類はますます破滅の 道を歩む」という類のものです。

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この2つの未来予想は一見真逆の ようですが、実は共通点もあると 思われます。

それは、ともに未来への想像を 膨らまして生まれるということ です。

その結果が真逆になるのは、 正の側面に着目して想像を 膨らませるか、負の側面に着目 して想像を膨らませるかの違いに 過ぎません。

もう一つの共通点は、ともに 未来への「願望」から生まれた 予想であるということです。

素晴らしい未来を予想する人は、 文字通り、それを望んでいます。

新しいものが生まれる背景には 人類や社会の必然性があったと 信じるからこそ、未来の可能性に 賭けるのだと考えられます。 悲観的な予想の代表は、技術の 進展による社会の衰退などが あります。

かつてテレビの登場によって 「人類の思考力や想像力が欠乏 する」と考えた社会評論家が いましたが、これらの予想も 「願望」を元にしていると 「最悪のシナリオを避けたい」と いう願いに由来していると思う からです。

「未来は予測するものではなく、 創造するものである」。 楽観的予想とはまさに創造したい 未来を語っているのだと思います。

悲観的予想は、創造したくない 未来を語っている。

つまり未来予想の原点は、 望ましい将来を描くことに他ならず、 具体的な表現の差は、その将来に 対する可能性か警告かの違いだと 考えます。