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価値観が違うのに人の評価に「客観性」がどこまで必要か

人が人を評価するというのは、矛盾に
満ちた行為だと思います。

 

評価する側の人が一様ではないはずで
あり、さまざまな思考や価値観を
もった人が、人を評価するとなれば、
評価する人の数だけ異なる評価になる
はずです。


 

自分が人を評価する場合、まず考える
のは、自分と似たような価値観を
もった人を評価しているようです。

 

これは自分にとって「好ましい」
さらに言えば「好き」な人を評価して
いる感覚に近いかもしれません。


 

もう一方で、自分にないものを持つ人
を評価していますが、それも正確に
言うなら「自分にはなく、自分が
好ましいと思っている」資質を評価
しているのであり、そこにも自分の
価値観が強く反映されています。


 

自分にないものを持つ人でも、その資質
が「好ましい」と思わなければ、決して
評価しないはずです。

 

そうなると人の評価などに「客観性」
という言葉ほど似合わないものは
ありません。


 

人は自分の価値観でしか人を評価
できない。


 

そう戒めた方がいいのではないで
しょうか。

 

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となると、人を「正しく」評価すると
いう言葉も意味があやふやになって
きます。

 

評価に対して「正しい・間違い」を
誰が決めるのかという問題です。

 

そこで人が自然にやっているのは、
自分が信頼している人の評価を
信頼するというやり方です。

 

自分の評価に自信がなかったり、評価
するだけの情報が足りなかったり
する場合、この方法を取ることで
評価の正当性を担保します。


 

しかし、この方法も結局、自分の
価値観に合った人を信頼し、
その人の評価を受け入れるという
ことですから、なんら客観性を
担保していることにはなりません。

 

自分の納得度を高める行為でしか
ないのです。

 

こう考えると、人を評価するという行為
は偏見に満ちたものであることを
認めざるを得ません。



「正しい評価」を持ち出すのであれば、
評価する目的に照らし合わせる
しかありません。


 

「この仕事を担当するのに相応
しい人は誰か」「この役割を担う
のに相応しいのは誰か」
「このチームに加えるのに相応
しい人は誰か」。

 

これらの目的を元に人を評価する。

 

つまり、それは人物評価よりも
目的達成のための方法論になります。


 

そこでは人の評価は多様になり
「正しい解」は見つけられなくても、
成し遂げたい目的を実現させるための
「仮説」を導き出すことは
できそうです。

 

「ヒト」ではなく「コト」に集中せよ
とはある起業家から伺った言葉ですが、
まさに人の評価は目的から始めないと、
矛盾に満ちた客観性の虚構を築く
だけです。


 

目的を明確にしない、あるいは目的の
ない状況での「人の評価」は、あまり
意味がないのかもしれません。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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